テオドール・ジェリコーの作品一覧・解説『メデューズ号の筏』、『エプソムの競馬』

テオドール・ジェリコーの有名(ポピュラー)な作品から、あまり知られていない作品までを厳選して紹介いたします。

メデューズ号の筏

フランスの軍艦「メデューズ号」難破事件を題材にした歴史的絵画で、絶望と混沌を強烈に描いています。
画面中央には、漂流する筏の上に多くの生存者たちが密集し、希望と絶望が入り混じった表情で救助を待つ姿が描かれています。
背景には荒れ狂う海と暗い空が広がり、自然の過酷さが強調されている一方で、右端には救助船がかすかに見え、生存へのわずかな望みを示しています。
ジェリコーは光と影の対比を巧みに用い、人間の苦悩と孤立感を劇的に表現し、政治的・社会的批判も込められた作品です。
絵の構図は混乱の中にも秩序があり、人物の動きや感情がリアルに伝わるため、ロマン主義絵画の代表作とされています。

メデューズ号の筏
Date.Date.1816

突撃する近衛猟騎兵士官

激しい戦闘の瞬間を生き生きと捉えた作品で、勇敢さと緊迫感が強調されています。
中央の士官は馬にまたがり、力強く前進しながら剣を振りかざし、動きの躍動感と勢いが鮮明に表現されています。
士官の制服や馬の装具は細部まで緻密に描かれ、近衛猟騎兵の威厳と規律が感じられ、背景は戦場の煙や混乱がうっすら描かれ、戦闘の激しさと不確実性を暗示しています。
ジェリコーの精密な筆致とドラマティックな構図により、英雄的な勇気と戦争の厳しさが一体となって伝わる、ロマン主義の典型的な戦争画です。

突撃する近衛猟騎兵士官
Date.Date.1812

ねたみ偏執病者

精神疾患を抱える人物を描いた肖像画であり、ロマン主義絵画における異色の試みとされています。
画面には、やつれた顔に鋭い目つきをした男性が半身像で描かれ、陰影の強い背景とともに不安と緊張を感じさせます。
ジェリコーは当時、フランスの精神科医エティエンヌ=ジャン・ガスパール・エスキロールの協力を得て、精神障害者をモデルにした一連の肖像画を制作しており、本作もその一環です。
病的な心理状態を写実的に表現しようとする医学的・芸術的関心の融合を示しており、感情や個性を強調するロマン主義の理念と一致します。
人物の凝視や硬直した表情からは「ねたみ偏執病者」とされる人物の内面の苦悩がうかがえ、病的リアリズムとも称されるその描写は、19世紀初頭の精神医学の発展とも関連し、美術史的にも貴重な資料とされています。

ねたみ偏執病者
Date.Date.1822

エプソムの競馬

イギリス滞在中に取材した実際の競馬をもとに描かれた作品で、ダイナミックな動きとロマン主義的情熱を兼ね備えた代表作の一つです。
画面には、イングランドのエプソムで開催されたダービーに参加する4頭の馬と騎手が一斉に疾走する様子が描かれ、背景には観客や広大な草原が広がります。
ジェリコーは馬の筋肉や動きを詳細に観察し、独自の解剖学的研究をもとに緻密で力強い描写を行っており、馬と騎手の一体感が印象的です。
特に馬が宙に浮いたような不自然な姿勢は、当時の動体視力や写真技術の未発達ゆえの表現でありながら、疾走感や劇的な瞬間を強調しています。
この作品は、ナポレオン時代の軍馬や英雄的イメージから離れ、スポーツや動物の躍動美を追求した点で革新的であり、ジェリコーの動的構成力と観察眼を示す重要な作品とされています。

エプソムの競馬
Date.Date.1821

窃盗偏執病者

精神病患者の内面をリアルに描いた一連の肖像画の一つであり、当時の精神医学と芸術の接点を象徴する作品です。
モデルは実在の患者で、彼の病的傾向「すなわち強迫的に物を盗む衝動」が表情や姿勢に暗示的に表現されています。
人物はやや下を向き、虚ろな眼差しと緊張感のある顔つきで描かれ、背景は暗く簡素に処理されており、鑑賞者の視線は自然と人物の表情に集中します。
ジェリコーは表面的な外見ではなく、内面の狂気や苦悩を絵画的に捉えることを重視しており、その写実性と共感的まなざしは、単なる記録画を超えて人間存在の深層に迫っています。
この作品は、医師エスキロールとの共同研究の一環として描かれ、19世紀初頭の精神医学の視覚資料としても価値があり、ロマン主義が掲げた人間の複雑な感情や異常心理への関心を美術において具現化した稀有な例です。

窃盗偏執病者
Date.Date.1822

夕暮れ:水道橋のある風景画

ロマン主義的感性を反映した風景画であり、静謐な夕暮れ時の情景を通じて自然の壮大さと人間の営みの調和を表現しています。
画面中央に古代ローマの水道橋が力強く横たわり、柔らかな夕陽の光が空と川面を染めるなか、静かな空気感と時間の流れが感じられます。
ジェリコーは光と影の対比を巧みに用い、空のグラデーションや水面の反射を緻密に描写することで、自然の詩情を高めています。
また、古代の遺構としての水道橋は人間の歴史や文明の象徴として配置され、風景画に物語性と深みを与えています。
この作品は、単なる風景描写を超えて、時の経過や記憶、そして自然と人間の関係性を詩的に描き出したロマン主義の典型例といえます。

夕暮れ水道橋のある風景画
Date.Date.1827