
ドミニク・アングルの有名(ポピュラー)な作品から、あまり知られていない作品までを厳選して紹介いたします。
玉座のナポレオン
新古典主義様式で描かれたナポレオン1世の公式肖像画で、皇帝としての権威と神聖性を強調するためにビザンティンや中世の宗教画の構図や象徴を取り入れています。
ナポレオンは金色の玉座に正面を向いて座り、豪華な戴冠式の衣装をまとい、右手に王権の象徴である杖(シャルルマーニュの笏)、左手に法の玉(レジリア)を持ち、頭には月桂冠を載せています。彼の姿勢は古代ローマ皇帝やキリスト教のイコン(特にゼウスや神キリスト)を思わせる厳粛な正面性を持ち、人物の理想化された描写、緻密な装飾、光沢のある質感が際立っています。
フランス帝政の正当性と永続性を視覚的に印象づけるプロパガンダ的役割を果たし、アングルの写実性と象徴性が融合した作品です。
一方で過度な理想化や形式性が批判され、アングルの初期作としては評価が分かれるものの、後の新古典主義と帝政芸術の重要な基盤を築いた肖像画とされています。

Date.Date.1806
グランド・オダリスク
オスマン帝国のハーレムにいる女性(オダリスク)を理想化された裸体で描いています。
ルイ18世の妹カロリーヌ・ミュラの依頼で制作されました。
画面には背中を向けて横たわる裸婦が描かれており、その滑らかな肌と長く引き伸ばされた背骨、誇張された腰のラインが観る者の視線を誘導します。
写実的というより理想化された肉体表現が特徴で、当時の解剖学にそぐわないと批判される一方、東洋趣味的な装飾やターバン、羽根付き扇などが異国情緒を醸し出しています。
アングルはラファエロの影響を受けつつ、輪郭線を重視した冷静で洗練された描写を行い、肉体を官能的というより彫刻的に表現しています。
画面全体は静寂と緊張感を同時に漂わせ、観念的な美の探求と東洋への幻想が融合した19世紀初頭の西洋美術を代表する作品です。

Date.Date.1814
トルコ風呂 (絵画)
晩年に完成した代表的な東方主義絵画で、円形画面に多数の裸婦たちがハーレムの浴場でくつろぐ様子を官能的かつ理想化して描いています。
構図は緻密で、女性たちの身体は滑らかな曲線と柔らかな光で表現され、明確な輪郭線と豊かな装飾性が特徴です。
裸体は写実というより観念的に美化され、背中を向けたポーズや優雅な仕草が女性美への耽美的まなざしを強調しています。背景には東洋風の絨毯や楽器、壺などが配置され、イスラム世界への幻想と異国趣味が色濃く反映されています。本作はアングルの過去作からモチーフを引用し再構成された総決算的作品であり、彼の古典主義的技法とロマン主義的想像力が融合した集大成です。
一方で、当時の東洋に対する西洋のステレオタイプや植民地主義的視線も含まれており、単なる装飾美を超えて19世紀ヨーロッパの文化的背景を示す重要な美術作品とされています。

Date.Date.1862
ルイ13世の誓願
新古典主義と宗教画の伝統を融合させた作品で、ルイ13世がフランスを聖母マリアに奉献するという歴史的場面を描いています。
中央には聖母子が天上から現れ、その前にひざまずくルイ13世が敬虔な表情で祈りを捧げており、天と地、神と王の象徴的な関係が強調されています。聖母は象徴的な青いマントをまとい、王は白い衣とマントを身に着けており、画面全体は左右対称的な構図で均衡が取られ、清澄な色彩と理想化された人体描写が特徴です。
アングルがアカデミズムに復帰する契機となった重要作であり、ラファエロ風の優雅さとルネサンス的な調和を志向しつつ、王権とカトリック信仰の結びつきを視覚化する政治的・宗教的意味を持っています。
シャルル10世の依頼でモンペリエ大聖堂の祭壇画として制作され、アングルの宗教画家としての力量と古典的理想の集約が見て取れる傑作とされています。

Date.Date.1824
イネス・モワテシエ夫人の肖像
フランス貴族階級の気品と洗練を描き出しています。画面には絹のような質感のドレスに身を包んだイネス・モワテシエ夫人が描かれ、彼女は静かに椅子に腰掛け、優雅なポーズで鑑賞者を見つめています。
背景にはネオ・ロココ様式を思わせる装飾があり、全体の構成に格式と華やかさを与えています。
アングルは精緻な筆致で布の質感や肌の滑らかさを描き、夫人の知性と高貴な気品を強調しています。
さらに、構図にはラファエロのマリア像を思わせる安定と均衡が見られ、古典美と近代的リアリズムが融合しています。
アングルの晩年の代表作であり、理想美と写実性の見事な調和を体現しています。

Date.Date.1856
ルイ・フランソワ・ベルタン
フランスの有力新聞『ジュルナル・デ・デバ』の編集者ベルタンを描いた肖像画で、新古典主義の厳格さと近代的リアリズムが融合した作品です。
画面には、威厳ある初老の男性が椅子にどっしりと腰を下ろし、両膝の上に力強く手を置きながら前方を見据える姿が描かれ、ベルタンの知性、頑固さ、自信がにじみ出ています。
背景は無地で簡素に抑えられ、人物の存在感を一層際立たせています。
アングルは細密な筆致で顔の皺や皮膚の質感、髪の一本一本までを描写し、写実性に富んだ表現で精神性を強調しています。
また、左右対称に近い構図や安定したポーズは古典美の理念を保ちつつも、人物の個性と現実の迫力が前面に出ており、19世紀肖像画の金字塔とされる作品です。

Date.Date.1832
ユピテルとテティス
新古典主義の理念と官能的表現が融合した大作で、ギリシア神話の一場面を描いています。
画面には全能の神ユピテルが玉座に静かに座し、彼の足元には、息子アキレウスの運命を変えるために懇願する海の女神テティスがひざまずいています。
ユピテルは堂々たる裸体で描かれ、ミケランジェロ的な肉体の理想美を誇示しており、神の威厳と超越性を象徴しています。
一方、テティスは柔らかく曲線的な姿態で描かれ、官能的な肉体表現と女性的な哀願のポーズが対照をなしています。
背景には古典建築的な柱や空の広がりが描かれ、舞台的な効果を与えています。
アングルはこの作品で古代ギリシア美術とルネサンスの影響を融合させ、理想化された人体と劇的な構図を通じて、神話的崇高さと人間的情感を同時に表現しています。

Date.Date.1811
ホメロスの神格化
古代ギリシア文学の巨匠ホメロスを神のごとく称える構成的な寓意画です。
画面中央には、冠を授けられる荘厳なホメロスが玉座に座り、左右には古代から近代にかけて彼の遺産を受け継いだ詩人、哲学者、芸術家たちが整然と配置されています。
構図は厳格な左右対称でピラミッド型を形成し、ラファエロの《アテナイの学堂》を想起させる知的秩序と調和が表れています。
アングルは各人物を理想化された古典的様式で描き、細部にわたる衣装や姿勢からも尊厳と品格が感じられます。
中央上部には栄光の象徴である勝利の女神が現れ、ホメロスへの神聖化を強調しており、古代芸術と精神の永遠性を称賛し、新古典主義の理念を総合的に体現した象徴的な傑作です。

Date.Date.1827
スフィンクスの謎を解くオイディプス
ギリシア神話の英雄オイディプスがスフィンクスの謎を解く決定的瞬間を描いた歴史画で、古典的構図と緊張感ある対話が特徴です。
画面左に立つオイディプスは理想化された裸体で表現され、筋肉の緊張と集中した表情が知性と勇気を物語ります。
右側には怪物スフィンクスが岩場に伏せており、その鋭い視線と爪が不穏な空気を漂わせ、背景の荒々しい岩と暗い空は場面の劇的性を強調し、対峙する二者の緊迫した心理を際立たせています。
アングルは古代彫刻の影響を受けた人体表現と緻密な線描によって、知の勝利と人間の理性の力を象徴的に描いており、新古典主義の美学と倫理観が凝縮された作品となっています。
