
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックの有名(ポピュラー)な作品から、あまり知られていない作品までを厳選して紹介いたします。
ムーラン・ルージュ
1890年代に制作されたポスター作品《ムーラン・ルージュ、ラ・グリュ》を指します。
これはパリの有名なキャバレー「ムーラン・ルージュ」の宣伝のために描かれたもので、ロートレックの代表作の一つです。
彼はリトグラフという版画技法を用い、大胆な輪郭線と平坦な色面で構成された画面を作り上げました。このスタイルには、日本の浮世絵の影響が色濃く表れています。
画面の左側には黒いシルエットの観客たちが配され、中央にはキャバレーダンサーのラ・グリュが躍動的に踊る姿が描かれており、このような構図は観る人の視線を自然と中心に引きつける効果を持っています。
この作品は19世紀末のパリに広がっていた享楽的で退廃的な雰囲気を象徴しており、単なる広告を超えてポスターを芸術の領域に押し上げた点で非常に画期的です。
ロートレックは夜のパリの社交界に生きる人物たちを主題に数多くの作品を残しており、鋭い観察眼と風刺的な表現によって、ベル・エポックの文化を的確に描き出しています。

Date.1895
赤毛の女(化粧)
娼婦の日常的な一場面を捉えた作品です。
ロートレックは売春宿に頻繁に出入りし、そこで暮らす女性たちを親密かつ同情的な視点で描きました。
赤毛の女性が鏡に向かって化粧をする様子が静かに描かれており、ポーズや表情には演出性がなく、自然で内面的な美しさがにじみ出ています。
画面構成は簡素で背景も控えめですが、色彩や筆致により女性の存在感が際立っています。
この作品には、当時の社会の周縁にいた女性たちへのロートレックの深い共感と、華やかな外見の裏にある孤独や哀愁が表現されており、ベル・エポックの華やかさと裏腹の現実を静かに物語っています。

Date.1889
踊るジャンヌ・アヴリル
1890年代に制作されたポスター作品で、ムーラン・ルージュで活躍した実在のダンサー、ジャンヌ・アヴリルを描いています。
彼女の激しく個性的な踊りの瞬間を誇張されたポーズと流れるような線で表現し、動きの躍動感と彼女特有のエキセントリックな魅力を強調しています。
背景は単純化され、人物に視線が集中する構図となっており、浮世絵の影響を受けた平坦な色面と大胆な輪郭が用いられています。
ロートレックの芸術性と広告性の融合を示す代表例であり、彼がナイトライフの登場人物を芸術的対象として昇華させたことを象徴しています。また、ジャンヌ・アヴリルとの親密な関係性が画面に込められた感情の深さにも表れており、ベル・エポック時代の芸術と社交文化を鮮やかに映し出しています。

Date.1892
ディヴァン・ジャポネ
リトグラフのポスター作品で、当時パリにあったカフェ・コンセール「ディヴァン・ジャポネ」の宣伝のために描かれました。
中央には有名なダンサー、ジャンヌ・アヴリルが観客として黒いドレスで座り、その隣には批評家エドガー・ドガのモデルとしても知られる音楽評論家エドワール・デュジャルダンが描かれ、舞台上にはカフェ歌手イヴェット・ギルベールの姿が特徴的に顔を隠す形で描かれています。
日本趣味(ジャポニスム)の影響が色彩や構図に表れており、平面的な背景と大胆な輪郭線、限られた色使いが視覚的インパクトを生み出しています。
この作品はロートレックのポスター芸術の中でもとりわけ洗練されており、芸術と広告の融合、そして19世紀末のパリの文化的洗練を象徴する傑作です。

Date.1893
メイ・ベルフォール
リトグラフのポスターで、アイルランド出身のキャバレー歌手メイ・ベルフォールの出演を宣伝するために描かれました。
彼女は「子猫の歌」で人気を博し、作中では黒猫を抱え、子供のような衣装を着た独特な姿で表現されています。
ロートレックは彼女の奇抜で演技的なキャラクターを、誇張されたポーズと鮮やかな色彩で描き出し、観る者に強烈な印象を与え、背景は簡略化され、人物と猫のシルエットが強調される構図となっており、日本美術の影響が見られる平面的な処理が特徴です。
この作品は当時のパリの大衆娯楽文化と芸術表現が融合した好例であり、ロートレックが芸術的ポスターの先駆者としていかに卓越していたかを示す一枚です。

Date.1895
ベッド
売春宿に暮らす女性たちの私的な瞬間を描いたシリーズの一作です。
ベッドに寄り添う二人の女性が穏やかで親密な雰囲気の中に描かれており、観察者としてのロートレックの視点が感じられます。
彼は被写体を決して扇情的に描かず、ありのままの姿を静かで温かな眼差しで捉え、社会の周縁に生きる人々への深い共感を表しています。
柔らかな筆致と淡い色彩は、画面に静けさと親密さを与え、見る者に彼女たちの内面や感情を想像させます。
この作品は、ベル・エポックの華やかさの裏にある人間の孤独や優しさを繊細に表現しており、ロートレックの人間観察と芸術性の高さを象徴する一枚です。

Date.1892
洗濯婦
19世紀末パリの下層階級の労働者を主題にした作品です。
若い女性が室内でうつむき加減に机にもたれかかっている姿を描いており、彼女の疲れた表情や無造作な姿勢から、厳しい労働環境と孤独な生活が静かに伝わってきます。
背景は最小限に抑えられ、人物の存在感が際立つ構図になっており、色調はくすんだ灰色や茶色を基調とした抑制的なパレットで、写実的かつ憐れみを込めた視線が感じられます。
本作はロートレックがムーラン・ルージュなど華やかな題材を描く以前の初期作品で、社会の周縁に生きる人々への深い共感と観察眼が表れており、後の風俗画への方向性を予感させる重要な一作とされています。
