ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーの作品一覧・解説『戦艦テメレール号』、『雨、蒸気、速度――グレート・ウェスタン鉄道』

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーの有名(ポピュラー)な作品から、あまり知られていない作品までを厳選して紹介いたします。

奴隷船

奴隷貿易の非人道性と自然の力による裁きを描いた象徴的な作品です。
画面には、嵐の海を進む奴隷船と、その周囲に投げ捨てられた黒人奴隷たちの手足が波間に浮かぶ様子が描かれており、夕日の赤と嵐の黒が混じり合った劇的な色彩によって、自然の怒りと人間の罪が強烈に表現されています。
奴隷制度を告発し、人間の残虐さに対する道徳的・感情的な問いを投げかけるものであり、ターナーのロマン主義的な画風と社会的メッセージが結びついた代表作とされています。
制作の背景には、当時の奴隷廃止運動や、奴隷を保険金目当てで海に投げ捨てた実際の事件があり、観る者に強い倫理的衝撃を与えます。現在はアメリカのボストン美術館に所蔵されています。

奴隷船
Date.1840

吹雪

自然の猛威と人間の存在の脆さを主題としたロマン主義の極致とも言える作品です。
画面全体は渦巻く風雪と波で構成され、中央にかすかに蒸気船が確認できるのみで、伝統的な構図や遠近法を捨て、光と色彩だけで自然の力動を描き出しています。
ターナーは自ら嵐の中で船に縛りつけられたと語っており、その体験を通じて、見る者に自然の恐怖と荘厳を直接感じさせようとしました。
人間の理性や技術が自然には通用しないというロマン主義的世界観を反映し、のちの印象派にも影響を与えた先駆的な絵画と評価されています。現在はロンドンのテート・ブリテンに所蔵されています。

吹雪
Date.1842

カルタゴを建設するディド

古代都市カルタゴの創建を主題に、伝説的女王ディドとその民が都市を築く理想的光景を描いた歴史画です。
ターナーはクロード・ロランの古典的風景画に影響を受け、柔らかな光と遠近感を用いて黄金色に輝く空と水面、荘厳な建築物、神話的な人物たちを調和させ、文明の誕生とそのはかなさを象徴的に表現しています。
過去の栄光と滅亡の予兆が共存し、ロマン主義的な歴史観と風景美が融合されており、ナショナル・ギャラリーに所蔵され、ターナー自身も自らの理想を託した重要作として位置づけていました。

カルタゴを建設するディド
Date.1815

戦艦テメレール号

イギリス海軍の名高い戦艦「テメレール号」がその役目を終え、老朽化のためスクラップへと曳航される様子を描いた油彩画です。
作品には、夕暮れの空を背景に、白く威厳あるテメレール号が黒煙を上げる蒸気タグボートに引かれながら静かに川を進む場面が描かれており、帆船時代から蒸気時代への技術と価値観の移行を象徴的に表現しています。
ターナーはロマン主義的な光と色彩の演出によって、この一見地味な出来事に崇高な感傷と歴史的重みを与え、栄光の終焉と時代の流れに対する詩的な瞑想を画面に刻みました。
イギリス美術史上屈指の名作とされ、現在はロンドンのナショナル・ギャラリーに所蔵されています。

戦艦テメレール号
Date.1839

雨、蒸気、速度――グレート・ウェスタン鉄道

産業革命期のテクノロジーと自然の融合をテーマにした革新的な風景画です。
ロンドンから西へ向かうグレート・ウェスタン鉄道の列車が、テムズ川に架かるメイデンヘッド鉄橋を疾走する姿が描かれています。画面全体に降り注ぐ雨と蒸気が、スピード感と空間の曖昧さを生み出しています。
列車は黒い鉄の塊として画面右から左へ突進し、遠くにぼんやりとした風景が広がることで、機械文明が自然の中を切り裂くような印象を与えています。
ターナーは伝統的な遠近法や線描をあえて曖昧にし、光と色彩による感覚的な表現を通して、近代のダイナミズムや時間・空間の変容を描き出しました。
自然と人工、感情と技術の緊張関係が織り込まれたこの作品は、ロマン主義から印象派への橋渡しとも評されています。

雨、蒸気、速度――グレート・ウェスタン鉄道
Date.1844

霜の降りる朝

海洋画の傑作で、ターナーが自然の圧倒的な力と人間の無力さを描くことに傾倒していた時期の代表作です。
荒れ狂う嵐の海で難破した船と、その中で生き残ろうと必死にもがく人々という、劇的で悲劇的な瞬間を描いています。
画面全体は暗く重い色調で覆われ、激しい波が船を打ち砕き、人々を飲み込もうとする様子が、荒々しい筆致で表現され、雷光が瞬間的に海面を照らし出し、その光によって波の頂点や人々の絶望的な表情が浮かび上がります。
ターナーは、嵐の描写を通じて自然の崇高なまでの破壊力を強調し、それに対する人間の存在の儚さを鮮烈に提示しています。
彼が後のロマン主義的な風景画で追求することになる、感情的な表現と劇的な効果の先駆けであり、海洋画家としての彼の力量と、自然の力を畏敬の念をもって描く彼の姿勢を明確に示しています。

霜の降りる朝
Date.1813

海の漁師

ロイヤル・アカデミーに初めて出品した油彩画です。
この作品は、荒れ狂う夜の海で小舟に乗った漁師たちが波と格闘する劇的な光景を描いています。
画面中央には月明かりが差し込み、その光が激しい波間に反射して、海の荒々しさと同時に崇高さを表現しています。
ターナーは、嵐の描写を通して自然の圧倒的な力と、それに対峙する人間の無力さを強調しており、後のロマン主義的な風景画の先駆けとなる要素が見られ、特に、光と影の劇的なコントラストや、荒々しい筆致による波の表現は、ターナーが「光の画家」として知られるようになる彼の独自の画風の萌芽を示しています。
ターナーが海洋画家としての才能を早期に確立したことを示し、彼の芸術キャリアにおける重要な転換点となりました。

海の漁師
Date.1796

ノーハム城、日の出

キャリアを通じて繰り返し描かれたテーマであり、特に晩年の作品群で光と大気の表現の極致を示しています。
ノーサンバーランドにあるノーハム城の廃墟を、夜明けの幻想的な光の中に描いています。
ターナーは、城そのものの詳細な描写よりも、昇る太陽の柔らかな光が大気全体に広がり、霧や霞を通して風景を包み込む様子に焦点を当てています。
色彩は淡く、特に黄、オレンジ、ピンクといった日の出の色が優勢で、それらが水面や空に溶け込むように描かれており、城の輪郭は曖昧で、ほとんどシルエットのようですが、それがかえって光と色彩の持つ抽象的な美しさを際立たせています。
ターナーが追求した「光と色彩による風景の解体」を象徴するものであり、具体的な形よりも大気や光の感覚的な表現を重視した、印象派の先駆ともいえる彼の革新的なアプローチが明確に示されています。
この題材を何度も描くことで、光の移ろいや時間による風景の変化を深く探求しました。

ノーハム城、日の出
Date.1845

難破船

初期の傑作の一つで、当時のイギリスの田園風景を詩情豊かに描いています。
この作品は、早朝のひんやりとした空気と、地面に降り積もった霜によって白く輝く景色を、細部まで丁寧に描写しています。
画面には、凍てつく朝の光を浴びながら馬車がゆっくりと進む様子や、道端で焚き火を囲む人々、そして遠くには霞んだ森が見え、霜の質感や、冷たい光が風景に与える影響を巧みに表現しており、特に朝日に照らされた空気の透明感と、それに伴う色彩の繊細な変化が見事です。
後年の抽象的な作風とは異なり、具体的な情景描写に重点が置かれていますが、それでも光の表現に対する彼の深い探求心は明確に示されています。
当時のイギリスにおける日常的な風景の中に、詩的な美しさと自然の厳かさを同時に捉えた、ターナーのリアリズムと叙情性が融合した代表作と言えるでしょう。

難破船
Date.1805